「また会いたい」と思わせる気づかい
慶応卒の落語家が教える 「また会いたい」と思わせる気づかい(Wave出版刊)出版記念立川談慶師匠落語会&サイン会に参加.
『気遣い』は学校では教えてくれない。
学校で学んだという人がいるとすれば、集団生活のなかでその人が感じ取ったことだろう。
ずっと「気が利かない」「鈍感」「気遣いがない」と言われ続けてきた。
「気を利かす」ことを常に考えていた。
それでも「気が利かない」と言われ続けていた。
自律神経がおかしくなるほど悩んだ。
環境を変えたある日「気を使いすぎる」と言われた。
「いえいえ、私は気が利かないのです」
訳が分からなくなった。
なので、無理やり「気を利かす」ことはやめた。
結果、自分の出した「気の使い方」は
「相手に気を使っていることを悟られない気の使い方をする」
結構、難しいけどね。
本日の高座は「抜け雀」
宿賃の払えない画家が、屏風に雀を描き、それが評判となって旅籠が繁盛する話し。
師匠の落語は映画に例えると、ハリウッドではなく、カンヌ。
派手さはないけれど、帰り道にじわ~っとくる。
何気ない日常の一部を切り取り、そこにエスプリを込める。
フランスのB級映画(失礼)のようなところが好き。
落語はずるいところがある。
映像と言う情報がないので、聞き手が勝手に想像する。自由だ。
いかに聞き手が引き出しを持っているかで、楽しみ方が変わる。
そして、想像しやすいテンポと声がある。
ちょっと早口で、想像する間を少し作ってくれる、耳触りの良い声。
人によって違うと思うが、談慶師匠は心地よい。
自分に合うのだと思う。
立川流は昔、談春師匠の高座を観たことがある。
独演会のせいもあったのか、気迫が凄かった。
口から溢れてくるのは魂だ。 この人は命を削って喋っていると思った。
受け止める側も身構える。
緊張の余り肩がこり、ゲッソリしてしまった。 一人反省会が何日も続いた。
それ以来、談春師匠は封印。
きっと自分の嫌な部分、弱い部分に触れられてしまったからだろう。
「SNSには書かないでくださいよ」と言う談慶師匠のまくらを聞いて、談春師匠の高座も観ようと思った。
修行の長かった師匠の言葉だから、共感できたのかもしれない。
日々是好日
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